その他

管理者プロフィール

基礎情報

<プロフィール>
・大竹 圭介(オオタケ ケイスケ)
・2002年3月7日生まれ(22歳)
・YouTube運営者

<実績>
・元独立リーグ選手(プロ野球選手)
・パーソナルトレーナーの資格保持
・動画編集開始3カ月で月収20万円を達成
・YouTubeチャンネル2ch売却
・YouTube開始から1年で月収400万円を達成
・YouTubeチャンネル立ち上げ3ヶ月でチャンネル登録者数1万人達成
・法人YouTubeチャンネル 計4chプロデュース
・YouTubeチャンネル登録者13万人越えのチャンネルをプロデュース

基礎情報を見ていただきありがとうございます!
こいつ、結局何者なの!?
って少しでも気になってくれた方は、

下記🔽を読んでもらえれば、今までの人生の全て晒しています。

幼少期~中学生:父親の暴力に怯える地獄の7年間

僕は、東京のごく一般的な家庭に生まれた、、、と思っていました。

父親は、WEB周りの会社経営者、お金持ちでスタイルも良く、なおかつイケメン。
母親は、家事育児ができ、そこら辺のキャバ嬢には負けないくらい圧倒的美人。
そしてシンプルにかわいい妹。

表面的なスペックだけで見ると、めちゃめちゃ恵まれてるやん!
と思っていました。

でも、人生はそんなに甘くもありませんでした。笑

僕の幼少期をまとめるとこんな感じです。

・小学校低学年から父親からの暴力が日常茶飯事
・1カ月に1回、両親が喧嘩をし、家族の空気は一言で言うと“地獄”
・両親の転勤が多く、新しい学校、新しい環境に馴染めず、周りの目線に怯える日々

ぶっちゃけ、心を病んで、変な道に進んでもおかしくない経験をしていました。

しかし、そんな僕にも、たった1つの救いがありました。

それが “野球” でした。

元々、父親が野球をやっていたことから、 僕自身も野球を始めることになりました。

幸運なことに、野球に関しては、そこそこ才能がありました。

東京の少年野球界では割と有名で、

都大会準優勝したチームのピッチャーで4番バッターみたいな、

ぶっちゃけ、その時代の神童と言ってもいいんじゃないかと思っていました。笑

そこで僕は、小学生ながらに、
負けることへの“恐怖”と、
結果を出すことへの“快楽”を覚えました。

勝負ごとに負けると、毎回、父親に怒鳴られたり、暴力を振るわれました。

今だから言えますが、警察沙汰にもなりました。

ヤバいですよね。笑

しかし、試合に勝った時や活躍したときには、
絶対においしいご飯屋さんに連れていってくれました。

その経験から、
今の僕の根っこにある、 “結果への執念” が身につきました。

そして後に、その結果への執念が、

WEB関係の経営者である父親との像と重なり、

WEB関係で稼ぎたいという形へと変わっていきました。

高校生:血反吐を吐いた波乱万丈の青春時代

僕の高校生活は、今となっては最高の青春だったと思います。

とはいえ、当時は本当に地獄の毎日でした。笑

僕が進学した学校は、いわゆる野球の強豪校でした。

当時、高校一年生で入学したてだった僕は、
「絶対にこの学校でレギュラーになって活躍してやる!」
と意気込んで入学をしました。

ただ、やはり人生は、そうもうまくはいきませんでした。

幼少期から野球では負けなしだった僕ですが、

高校時代の僕は、一言で言うと“負け犬”でした。

・入学当初は、走りっぱなしの練習が続き、身体中が悲鳴を上げ。
・レギュラー陣とのレベルが違いすぎて、練習試合にすら出れない補欠組。
・同い年にプロ注目選手が2人もいて「え?俺雑魚キャラじゃん笑」と嘆く日々

ただ、そんな状態でも、他の同級生や周りの環境に恵まれていたこともあり、
なんとか野球を続けることができました。

そんな地獄の毎日を過ごしていた僕ですが、
ある日を境に野球人生が一変します。

それが、当時、外部から加入され、顧問として就任された
僕にとっては、“人生の恩人の先生” です。

その先生と出会い、たまたま気に入ってもらえたのか、
それまでは、試合に出させていただけなかった僕ですが、
試合に出させていただく機会が多くなっていきました。

そこから僕は、試合を重ねるごとに、結果を出していき、
1年生の秋に、1軍の正捕手として、公式戦に出場できました。
そしてこの経験が、僕にとって、とても大きなターニングポイントになりました。

ちなみに、野球のポジションでいう、捕手というポジションは、
頭を使うポジションです。
野球業界では、グラウンド内の司令塔と言われることもあります。

話を戻すと、1軍の正捕手として試合に出場し始めてから、

僕は、頭の使い方が、今までとは大きく変わっていました。

それが、常に何か疑問に思った物事に対して「なぜ?」

と自問自答する癖がつきました。

いわゆる「なぜなぜ思考」を取り入れた僕は、結果を出すために、
・うまくいっている人を研究しまくり
常に仮説検証を繰り返し

結果として、3年間ほぼ不動のレギュラーとして活動できました。

そして、幼少期から培った、結果への執念と、なぜなぜ思考を取り入れ、

その勢いのまま、アメリカの大学4校と独立リーグ4球団のトライアウトを受けました。
結果、アメリカの大学からは、4校、全て合格。
独立リーグからも3球団から合格をいただきました。

最終的には、高知県にある独立リーグ球団に入団することに決めました。

17歳∼18歳:憧れのプロ野球選手からたった半年で無職へ

世の野球をしている選手たちからすると、

喉から手が出るほど欲しい最高の野球環境に飛び込めた僕は、

これから薔薇色の野球人生が待っていると思っていました。

しかし、想像していた野球人生とは反して、
2つの大きな事件が起きました、、、

・両親の離婚。それに伴う借金問題
・自分自身の腰の状態が悪化し、野球ができなくなる

まさかのダブルパンチで、 野球を辞めざるおえない状況に陥り、

さらに、会社経営者の父親と母親が離婚し、

父親が経営していた会社の借金を、母親に押し付けてきたのです。

なんか作り話みたいなんですけど、嘘偽りのない本当の話なので、人生って面白いですよね。

そして、野球を辞めた僕は、すぐに就職するわけでもなく、
フリーターとして、何の刺激もない、ただただその日稼ぎの人生を送っていました。

18歳∼21歳:WEBを通じて人生に希望を感じる

自分の唯一の取り柄であった、野球ができなくなり、

両親は離婚をし、母親は1ヶ月に1回ペースで裁判をする日々。

今となっては、いい試練だなと思い返せますが、

当時の僕は、本当に絶望と劣等感を味わう毎日でした。

18歳∼21歳の僕は、中途半端な結果しか出ず、
周りに自慢できる仕事ができていたわけでもないので、
本当に辛い毎日を過ごしていました。

・ウーバーイーツの配達として朝から晩まで自転車を走らせ
・動画編集の仕事を開始するも月収20万円程度
・不動産会社の営業マンでもボチボチの成績

僕の周りは、
現役プロ野球選手や、早慶、MARCHの大学に通う
人生勝ち組のエリートばかりでした。

元々勝ち組だと誤解していたことから、

本物の劣等感を、この時期に味わっていました。

この時期が自分にとって一番辛い時期でした。

ただその後、WEBの世界を通じて、僕の人生は一変しました。

21歳∼:YouTubeを始めたら、月収100万円を超えた

そんな辛い時期に、とあるツイートを見て、僕の人生が一気に変わりました。

そのツイートが
「YouTubeの運営が稼げる!」
という内容でした。

当時は、なぜYouTubeが稼げるのかもよくわからないまま、
そのツイートを頼りに色々と情報収集を始めました。

そこで、YouTubeのオンラインスクールやオンラインサロンに加入しました。

その当時やっていたYouTube運営は、
顔出しをしないYouTubeチャンネルを運営すると、
広告収益を得られるというビジネスモデルでした。

当時、正社員として働いていた僕ですが、

藁をもすがる想いで、暴走列車かのように、正社員を辞め、

YouTubeにフルコミットを開始します。

初めはディレクターとして活動を開始しました。

ディレクターとして活動をし始めた僕は、

チャンネル設計〜企画立案、サムネ作成など、

YouTubeを運営するにあたって必要なことを全てやりました。

しかし、企画やサムネイルの制作も最初はうまくいかず、

・企画立案をするも、100個連続でNGを喰らう
・サムネ作成も、伸びている要素を理解できず、これまたNGの連続

それでもめげずに淡々と試行錯誤と制作物の作成を続けた結果、

YouTube運営開始から半年後に、月収20万円を達成しました。

さらにそこから自分のチャンネルもスタートし、

1chだけうまくいき、月収100万円を超えるようになりました。

ちなみに冒頭の基礎情報で記載した、
月収400万円というのは、チャンネルを売却した月の利益額です。

なのでぶっちゃけ、あってないようなものです。

非属人のYouTubeチャンネルを成功させ、

当時21歳の僕は、YouTubeマーケティング会社と個人事業主契約をし、

現在では、法人YouTubeチャンネルを4chプロデュースさせていただいております。

最後に

 

もし、あのとき、
行動していなかったら、きっと今も周りとの差を感じ、
自分の無力さを味わう日々だったと思います。

ぶっちゃけ、今でも無力さ、劣等感はあります。笑

それでも、自分は自分らしく生きていこう。
そう決心できるほど、自分に自信を持てるようになったのは、
YouTube、WEBがあったからです。

とはいえ、僕は今の現状には満足していません。

僕が今欲しいのは、
「どんな時代にも通じる、普遍的なWEBマーケティングスキル」
です。

現状の僕は、平均月収50万円を担保できていますが、

めちゃくちゃ不安定な収入です。

さらに今の僕のYouTube運営スタイルは、

既にYouTube市場から淘汰され始めています。

でも僕は、これからも胸を張って、生きられる人生を送りたい。
時代が変わっても戦える、ビジネス戦闘力を手に入れたい。
結果を出して、クライアントと笑顔で会食に行きたい。笑

そんな思いから、現在では、
WEBマーケティングの基礎から、YouTube、Instagram、TikTokなどの各種SNSの攻略講座など、
WEBの全てが学べる総合WEBマーケティングスクールに参加しました。

これから1年間、WEBマーケティングに真正面から取り組み、
1年後には、安定して月収50万円以上稼げるようになりたいと考えております。

・法人チャンネルを立ち上げたい企業の方
・非属人YouTubeに限界を感じて、クライアントワークにシフトしたい方
・WEBマーケティングで人生を変えたい方

そんな方に、少しでもお役に立つ情報をご提供できるように、

こちらのブログを運営していきたいと思います。